11月25日(月)に東京ドームで来日中のフランシスコ教皇様のミサが行われました。
那珂教会では、3グループ(18人)が応募しましたが、1グループ(6人)だけがチケットを手にしました。
当日、水道橋の駅を降りると、国籍も様々なたくさんの人が明るい表情でドームへと向かっていました。
厳重なセキュリティチェックを受けドームに入場すると、大きな白い十字架が設えられた祭壇がありました。
「もうすぐ教皇様がこの場にいらっしゃる」そう思うだけで胸が高鳴りました。
やがてたくさんの拍手と歓声に迎えられて教皇様がオープンカーで入場してきました。
ゆっくりと場内をまわりながら声援に応え、小さなお子さんの額に祝福のKISSをすると、歓声はいっそう大きくなりました。
ミサが始まると、私は参加できなかった皆さんの分までお祈りしました。
タイトな日程の疲れを見せずにしっかりとした口調で話される教皇様。
山上の説教で、イエスは、自分のいのちのことで思い悩むな、……明日のことまで思い悩むな(マタイ6・25、31、34参照)と、三度にわたって力強く呼びかけていることを教皇は指摘。 「思い悩むな」とは、周りに無関心であれ、自分の務めに無責任であれといっているのではない、むしろ、展望に心を開き、そこにもっとも大切なことを見つけ、主と同じ方向に目を向けるための励ましである、と説かれた。 「孤立し、閉ざされ、息ができないわたし」に抗しうるものは、「分かち合い、祝い合い、交わるわたしたち」しかない、と教皇は強調。 キリスト者の共同体は、すべてのいのち、すなわち目の前にあるいのちを守り、抱擁し、受け入れる態度を、あかしするよう招かれている、と教皇は話した。 障がいをもつ人や、弱い人、よそから来た人、間違いを犯した人、病気の人、牢にいる人は、愛するに値しないのですか?と問う教皇は、イエスが、重い皮膚病の人、目の見えない人、からだの不自由な人、ファリサイ派の人、罪人、十字架にかけられた盗人すらもご自分に引き寄せ、ご自分を十字架刑に処した人々さえもゆるされた、ことを思い起こさせた。 いのちの福音を告げるよう、わたしたちは求められ、駆り立てられている、と述べた教皇は、それは、共同体として、傷ついた人をいやし、和解とゆるしの道をつねに示す、野戦病院となること、と説かれた。 VATICAN NEWSより
教皇様の言葉に自分のあり様を重ね合わせると、戒めと励ましと希望で心がいっぱいになり、こみ上げてくる涙を止めることができませんでした。
このミサに私が参加できたこと、その意味は何だろう。。。教会での役割・日々の生活にどう役立てどう行動したらいいのだろう。
それを今でも考え続けています。それほど貴重で深い経験でした。
このような機会を与えてくださった神様に心から感謝します。
そして小さくても、できることから実践します。
那珂教会 広報担当:佐藤